「一生モノ」への憧れを手放した話

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こんにちは、脇田です。

私はファッションが好きなのですが、「一生モノ」という言葉に弱いです。

質の良いものを買い、大事にお手入れしながら、おばあちゃんになっても使っていく・・・そんな生活が憧れです。

一生モノのコート、バッグ、靴・・・

今まで、人生何回分の一生モノを買ってきたことでしょう。

しかし、それらのほとんどはもう手放してしまい、手元に残っていません。

どんな所が自分に合わなかったのかを考えてみました。

使いづらい

「一生モノ」とされるものは、やはり良い素材を使っています。

しかし、「良い素材=扱いやすい」かと言えば、そうではないのが難しいところ。

例えば本革のバッグ。

しっかりした分厚い革で作られたバッグが好きなのですが、可愛さと比例してとにかく重い。

何も入れてない状態で、バッグだけの重さで1kg以上あるものも。

買ってすぐは嬉しくて使うものの、重さによって肩が凝るためだんだんと出番が無くなってしまいました。

また、革の色によっては水に濡れるとシミになってしまうため、雨の日は使えなかったり。

そういった不便さを込みで付き合っていくのが楽しさのひとつなのかも知れません。

しかし、あくまで私にとってですが「良い素材=日々の生活で使いやすいもの」ではありませんでした。

お手入れにお金が掛かる

数年前に、革靴をオーダーしました。

値段は10万円ほどでしたが、「お手入れしながら一生履くんだ!」と決意し、思い切って購入したのです。

(自分の足の木型を作ってもらい、それに合わせて靴を仕上げてもらうのでサイズがピッタリで感動します)

2年ほど愛用して、だいぶ靴底が擦り減ったので作ってもらったお店に修理に出しました。

修理代は2万円でした。

お店の方から金額を聞いた時、「手作業で靴底張り替えますからね、それくらいの値段になりますよね、分かります」みたいな平静を装った顔をしていましたが、庶民の私は内心動揺していました。

「2万円あれば新しい靴買えるよなぁ・・・」と正直思ってしまいました。

(事前に調べなかった自分が悪い)

一生モノって、買っておしまいではなく、メンテナンス費用が定期的に掛かるものなんだなと、その時はじめて知りました。

好みや生活スタイルが変わった

「自分は一生変わらずにこれが好きなんだ!」と、その時はどんなに強く思っていても、世間の流行りや、付き合う人たち、周囲の環境によって知らず知らずのうちに影響を受けて、価値観はどんどん変わっていきます。

私は、以前は雑誌で言うとFUDGEのような、ゆるっとしたカジュアルな服装が好きで、一生こういった系統の服を着ていくんだろうなと思っていました。

ですが、あっさりと好みが変わり、最近は体のラインが出てかっこいい感じの服装が好きになりました。(韓国のアイドルの女の子たちの服装が可愛いな〜と思ったのです)

また、生きていれば生活スタイルも変わります。

昨年転職をしたのですが、前の会社では綺麗めなオフィスカジュアルが必須だったけれど、今の会社はダメージデニムを穿いていても何も言われないような所なので、かっちりした服やバッグは不要になりました。

いずれは好みや生活スタイルが変わる日が来るんだなと実感してからは、物を選ぶ際の判断基準として、「ずっと使えるかどうか」はそこまで重視しなくなりました。

自分にとっての「良いもの」とは何か

いま私が愛用しているものは、一生使うぞ!と意気込んで買ったものではありません。

半年前にスニーカーを購入した際は、歩くことが好きなのでクッション性があり、なおかつ履き潰して買い替えるつもりだったので手頃な値段であることを重視して選びました。

結果、週3〜4日のペースでガシガシ履きまくっており、買って大正解でした。

今の生活がより豊かになり、手頃な値段で買えて、気兼ねなく使い倒せることが私にとっての「良いモノ」なのだと思います。

今思えば、一生モノが好きなのは、高い買い物をしたいがために「ずっと使えるから結果的にお得」を言い訳にしたかっただけなのかもしれません。

これからも自分の軸を持ち、物たちと上手く付き合っていきたいと思います。

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